本番を前に、突きつけられた課題
今回は、本番を目前に急浮上してきた課題、その時の心情をお伝えします。
音楽初心者の私が、大師匠の雨さんに声をかけられ三線弾き語りを披露した初舞台「雨と月ライブ」。
前回、自分の大切な世界観を伝えたい!と決意。決断できた後の清々しさは一瞬。本番前に向き合うことがまだまだ残っていた。
(練習する場所問題)
そういえば、気軽に大音量で三線を練習できる場所がない。
できれば誰にも練習を聞かれたくない💦
まだまだド下手だから人の耳に入るのは迷惑だ、とも思う。
三線セットに「音消し用」の道具は入っているが、音消しを使わない方が間違いなく良い音が出る。
それに、本番と同じ音量で歌を唄いながら練習しないと意味がない気がした。
「もっと人がいないところへ」と、森深く、山深く、どんどん人気のない場所を探し歩いた。
もともと山深くの湖周辺でたまに練習していたが、少し遠いので頻繁には行けない。
もっと近い場所で、どこかないものか。
(「人によく見られたい」がたまに顔を出してくる)
人が来ない、静かな森や山にいる方が断然落ち着く。自己受容トレーニングを始めながら、同時に今まで散々「人のために自分を抹殺し役に立つこと」に神経をすり減らしてきたことにだんだん嫌気がさしていった。
一体何のためにやってたんだろう?とばかばかしく、自分にも腹が立ち、人間嫌いになっていた。反動で、極端に人のために何かしたり、分け与えることへの抵抗感が生まれた。
人と関わるより自然の中にいたいと思う気持ちが強まった。
だから余計に、大事な楽しみにしていた約束を直前でキャンセルし、自然の中に逃げ込みたくなる。人はいらない、自然があればいい。自然は私を傷つけない、と思っていた時期もあった。
地道な自己受容トレーニングの成果もあってか、人を避けて自然の中にいることだけが、本当に私のやりたいことではない!と思えるできごとがあった。
けど。
たくさんの人に助けられ、愛じゃないと思っていたものが、実は愛だったと理解でき、泣いた。
自分が満たされていれば、自分の身を削らなくても人に分け与えることができる。苦痛は伴わない。自ら分け与えたくなる気持ちもわかった。
けど。
人間嫌いの前は「人の役に立ち、人によく思われたい」という、自己卑下からくる自己価値を周りに求める姿勢。
自分の弱点のようなもの、ポンコツな部分を人に見られたくない。出したくない。あえて見せる必要ある?という気持ちが、ここにきて出てくる。変なプライド?見栄?
それを出さずにかっこいいとこだけ見せたいなら、うまくなってから出るしかない。ファーストステージ・チャレンジの意義に反するやつだとも気づかず。
だから、一人でこっそりと、ひっそりと練習させてくださいと願った。
(結論、人がいない場所なんてない)
カラオケボックスで一人で練習すればいいのでは?←確かに。今ならできる。
基本、自然の中で練習したい。機械に囲まれた人工的密閉空間に長くいるなんてと想像したら「なんか怖い」。しばらくの間、近寄ることもためらわれて行けなかった💦
それをいったら、ライブハウスも同じ。機械と人しかいない。(←この時は正直まだしんどかった。大きめな観葉植物を木に見立てて置くか?それは他の人の邪魔でしかなく、入手方法もあやしく断念🤣)
どうせ人に聞かせるのだし、多少人が行き来するくらいのところで練習して、慣れて度胸を付けたらいいのでは?と思い付く。
それなら!と、森林公園をいくつか偵察。
平日なら人が少ない、もしや人いない?と期待したが、意外といる~!!どこを探しても。近くの川には釣り人がいる。
「なんでー?もう、人いなくなれ~!!」とやきもきする。
いや待てよ?
いつまで「人がいない」ことを望んでる?
まさか、「人がいないところ」で練習できないように、「人がいるところ」でしか練習できないように、計らわれてる??という気がしてきた。
それならあえて森林公園のど真ん中で、おじさんおばさん、犬ちゃん散歩中の人がいようがいまいが、知らん顔で堂々と練習してやろう!と決めた。
(お節介おじさんの登場)
実際やってみた。さすがにど真ん中は勇気が出ず、端の方の木陰のベンチに座る。近くに木があり、鳥もたまに鳴くので少し安心。敷地もけっこう広い。
もともと山奥の湖周辺で練習していたので、山登りの通りすがりの集団に聞かれることは多々あった。「私は自然に聞かせてるので、人なんて知らん」のスタンス。誰も話しかけてこない。
だけど、それよりめちゃくちゃ通行人と距離近いんですけど~!?と、動揺。
無視して通りすぎる人もいるけど、この人私の前を通るの何周目?😅
しまいには「三線」と「三味線」をごっちゃにしている散歩中おやじが話しかけてくる。
何回説明してもわかってもらえず、「三味線」に関するおじさんの持ってる知識をやたら披露してくる。
去り際に「どっかで習った方がいいんじゃない?」って。
わかっとるわい!独学で始めて不安になって、私もそう何度となくそう思ったわー!!と思いながら、余計な世話を焼いてくれたおじさんがだんだん面白く思えてきた。
さらに、三線って私が思ってたより、すぐにピンと来ない人多いのかな?と、ますます三線をたくさんの人に知ってほしい気持ちが強まった。
その間、下手な練習に迷惑そうに注意してくる人は一人もいなかった。
変かもしれないが、「下手な私がここにいても、練習していても、いい」。
誰にもそう言われていないけど、そう認知されたような気がして、すごく気持ちが楽になった。
多分あんまり他人のすることに興味がないか、干渉しないだけ。
それでも否定されなかったことがなぜか嬉しかった。
おじさん達、ありがとう!と心の中で感謝した。
(急に、声がでかいんだけど!)
人がいるところでの練習にもだんだん抵抗感が薄まってきた。ただし、三線練習のみ。
いつも同じところにいるのは嫌な気がして、あちこち場所も変えながら。やっぱり大声を出しながらの公園での練習はまだ精神的にきつい。自信もない。
奮起して、やっとの思いでカラオケボックスに入り、楽器の練習をしても問題ないか、ドキドキしながら確認。問題なくOKがもらえた。
最初はあまり声が出ない。歌の練習なんて、ちゃんとやったことなどない。
どうしよう?喉がつまる。本番で緊張したらさらに声がでなくなるじゃん!と焦る。
それから、毎日のように移動の車の運転中に声を出すことから始めた。窓を閉め、走りながらなら、大声でも一瞬で過ぎ去るから問題なし!と、出せる限りの大声も出してみた。
始めは喉がからんで出なかった声が、だんだん出やすくなってきた。毎日声を出せば出すほど、前の日よりさらに早いタイミングで声が出る。嬉しくなって調子に乗って、大声でも歌ってみる。
その状態で、カラオケボックスで弾き語り練習に入ると、なんだかすごく声が出せるようになってる気がする!!また嬉しくなる。「声が、めっちゃ出るー⤴️」
以前の私は自信の無さから声があまり大きくなかった。私は大きな声が出せない体なんだな、と決めつけていた。
話し声が小さくて相手が聞き取れず、何度か聞き返されると嫌な気持ちになる。「もういいよ」と話をやめる。
こっちは大きな声が出せないんだから、聞き返されると嫌な気持ち、わかってよ!と、相手のせいにする。
自分が相手に聞き取りやすいように話そうという配慮に欠けている。今ならわかる。
そんな私が最近、話し相手に「内緒話になってないくらい、声でかいんだけど!!丸聞こえじゃん」とか。「なんか最近急に声でかくなってない?そんな風に大きな声が出してみたいよ」と言われた。うそでしょ。
意識が変われば身体の使い方も変わってくるんだ!
身体をうまく使えてなかっただけ!?と気づく。もっと意識が変わればもっともっと身体の変化が出るのかも!と、身体を使うことが面白くなってきた。
公園・カラオケ・たまに自然の中、という練習場所を転々とし、練習に励んだ。
(やってきた課題1 「お金」への執着)
練習場所と発声問題がどうにか解決。
最後に出てきたのが二つ。
まずは「お金」。
歌いたい!楽器をやりたい!心からやってみたかったことがついに始められた。それをいよいよ人にお見せする。
ただやりたいから、やる。お金にならなくても関係なく、やりたい。
そんな気持ちでスタートしたはずなのに、いつの間にかライブの「出演料」のことを気にしている自分がいることに気づく。
雨さんが後輩である私のために場所を作ってくれた。むしろ私がお金を払ってでもお願いしたいくらいの立場なのでは?
仮に出演料がもともと出ないとしても、出ても、本来は関係なかったはず。
それなのに。
集客の結果次第では、赤字もしくは±0=支払えるお金がない可能性がないとはいえない。だから集客する。
よく考えればわかるそんなことも考えず、それを知ってショックを受けるなんて。
「私は結局のところ、自分の好きな世界観を表現したいんじゃなくて、お金のためにやってたんだ?」「はしたないね。それじゃ、どんだけ頑張っても私に支払う価値ないでしょ」みたいな、急にどん底へまっしぐらな気持ちに。
お金がもらえなくても、もらえても関係なく、やりたかったんだよね?違うの?という考えが心をえぐり、悶々として練習が手に付かない。
(課題2「集客」への罪悪感)
今回、仮名と匿名で出演を決めたことで、私を知る身近な人達への声かけが一切できなかった。
家族や友人知人はもちろんのこと、職場の仲良しな人達にすらも。
周りの理解が得られていない。それは今の私がそういう世界にしてしまっている部分もあって、話し合いが足りないのかもしれない。
いつかは話すとて、まだ今じゃない。そういう思いで仮名・匿名と決めたのだから、むしろそういった、悪くいえば「しがらみ」ともなりかねない対象を、この場に招くことは違和感しかなかった。
自分で選んで決めたのに。集客や宣伝は人任せ。拡散力もなければ文才もない。SNSは、この「そる」名で立ち上げるのもまだ違和感しかなく、立ち上げられないから告知もできない。
というか、最初は手探りでとりあえず経験を!という思いで、そこまで考えられなかった。
そんな私がファーストステージ・チャレンジを自ら宣伝する方法が見当たらないことで、まるで自分は無関係のような、そもそもそんな企画が初めからなかったような、お客さんのような、受け身で何もしていないような気がして悲しくなった。
ここでもやはり、私は役に立てないのかと。自己卑下が復活してしまいそうな。
(「事実」と「思ったこと」をありのままに受け止める)
もう、それらの気持ちをただただ受け止めるしかない。そうしないと、また腹の奥底にモヤモヤを溜め込むことになるとわかっていたから。
じっくりじっくり受け止めたら、お金に関しては「それは、そこまで悪いことではない」と思えてきた。
「お金」は「愛の循環」なのだから。お金をほしがることってそんなに悪いことではないのでは?と、少し心に晴れ間が出てきました。
私が良いな、素敵だなと思った歌とイメージと世界観を伝えたいのは、私のためでもあるけど、それを届けた人に少しでも「いいな」と思ってもらえたら。
それは、「循環」ってことに近づけるのでは?
それに、今やってる「好きじゃない仕事」以外で、頑張ったことで報酬が初めてもらえたらどんなに嬉しいことなのだろう!!という、少し憧れの気持ちもあったんだよね?と思い始め。
最初はお金もらえるとも思ってない→もらえるならほしい→どっちでもいいへ、徐々に気持ちを切り替えることができた。
集客に関しても、今回はもう仕方ない。別の機会に、私ができることで力を存分に発揮することでしか役に立つ方法はないと。
みなさんに感謝しつつ。がんばってくれているみなさんのためにも、今の私ができることを本番でやりきるしかない!と、前向きにあきらめることができた。
(最後に)
雨と月ライブのアーカイブは今日が最終日のようです。
ラストまで私ができることとして、舞台本番までにあったこと、舞台への思いををかいつまんでお伝えしてきました。
何か感じるものがあれば最高に幸せです♪
次回はいよいよ、本番当日のお話です。
果てして、みなさんの目に写るものと、私の心情はどう違ったでしょうか?
(おまけ:アーカイブ、まだ間に合う!!)
※音楽ライブの形式ですが、スピリチュアルな要素も含みます。(エネルギーワークが強めに働いている内容の為、見るだけで元気が出る&運が良くなる)
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最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!
ではまた(^^)/
☆おしまい☆