そる(soru):音楽と自然愛にまみれて生きる♪

お気に入りの楽器と音楽と、自然の話。

ついに本番当日【アーカイブは6/29迄:雨と月ライブ】

今回は、本番当日のできごと、初舞台の直後から感じた正体不明な謎の気持ちについてお話していきます。

音楽初心者の私が、大師匠の雨さんに声をかけられ三線弾き語りを披露した初舞台「雨と月ライブ」。

いくつもの課題を乗り越え、いよいよ本番。無事に本番を迎えることができるのか?

 

(まさかの朝から絶好調)

本番当日は午後から会場に入る。その前に声を出しやすい状態にしておきたい。

朝からカラオケボックスの広いブースを一人陣取り、練習。三線をかまえ、本番のつもりで。

あれ?声、出るじゃん!!三線も大丈夫っぽい。

緊張してもっと喉がしまって歌えないかと思った。ほっと一安心。あとは初来場の会場に無事にたどり着けるかに集中するのみ。

 

(初めてのライブハウス)

初めての会場の雰囲気に、挙動不審。落ち着かない。何をしてればいいのだろう?

やばい。いつも明るい時間にしか練習したことないのに、舞台の照明が人工的にまぶしい。自然光を浴びずにリラックスして演奏できるのか?森の木々を連れてきてほしい。

出番までまだ何時間もある。気持ちと声の調子がいつまで保てるのか?

他の人のリハーサルを見て、すごい!と感激し、胸踊る。和やかながらも少し緊張感をもって進んでいき、それを自分の出番まで見守る。

どうにかリハーサルは終えた。なんかよくわかんないけど、一通りできたっぽいのでホッとした。

それでも、出演者の方達に見てもらうのは初めてで緊張。

それでも、もう下手でも何でも、現状をさらすしかない!と腹をくくることができたのは、ほぼ毎日練習したという経験から。自分を信じることができた。

それに、雨さんからも数日前くらいに「舞台に上がって失敗してきていいよ」といってくれたのが大きかったと思う。

 

(そうだ。私、喉が弱かった)

出番まで少し練習し、そわそわして差し入れのチョコを勢いよくむさぼる。

緊張で乾いた喉に糖分が突き刺さる感じがして、むせた。

しばらくむせたら、喉がからんだようになり声がおかしくなっていた。

やばい。本番までにどうにかしなくては。

メンバーから龍角散のど飴をもらい、落ち着く。あー、良かった!

のど飴がなめ終わりそうな頃、お手伝いに来てくれた初対面のメンバーに挨拶したくて駆け寄ろうとした。

小さくなったのど飴を誤って飲み込みそうになり、またもや喉がからんで声が出ない。

もう帰りたい。そういえば私は時々、喉が異常に弱かった。急に咳き込むので龍角散のスティックタイプ粉末をを持ち歩かないと心配なくらい、喉が弱いのを忘れて油断していた。

緊張も手伝って、声を出しても出してももう元には戻りません。

 

(自分の楽器が使われる喜び⤴️)

まだ喉は治らない。それはさておき、私にとっては一番うれしかったことかもしれない。

私が集めている持ち運べる楽器達。その中の「ジャンベ」(アフリカ生まれの太鼓)。龍の柄が彫ってあるジャンベを、私の演奏にあわせて叩いてもらえることになっている。

合わせてくれる方とは、当日が初めて。普段からバンドのステージに上がっているだけあって合わせるのには慣れている。私の単独演奏をいい感じにまとめてくれるはず。(さっきのリハーサルでは、マイクの関係でジャンベがよく聞こえなかった💦)

楽屋スペースで、私のジャンべを叩く音が聞けて、もうそれだけでうれしかった。

そこから私の歌と演奏に合わせてもらう流れとなり、感激すぎて全く言葉にならなかったけど!!本当にうれしくて。

もう、今日はこれができたから、私は十分です!!お疲れさまでした~⤴️という気持ち。

楽器が好きで、その私の楽器が舞台で使われるんですよ!?しかも私のために。

もう感動しかない😭 ジャンベも私の下手なポンポコ叩きで楽器人生(?)を終えなくてすみ、本望だと思う。

声は、喉が苦しいなりにどうにか出た。もう、この状態でいけってことかと腹をくくった。

 

(三線との出会い)

私が三線を始めた理由。沖縄料理店で弾き語りのおじさんの生演奏を聞いた時、突然号泣してしまったから。

昔、学生時代にモンゴルの遊牧民の暮らしに憧れ、旅行に行った際、ツアーに同行してくれた現地の人が馬頭琴という、モンゴルの弦楽器を弾いてくれた。

それに合わせて、周りにいた現地の人全員がその音に合わせて歌いだす!という、素敵すぎる光景を目の当たりにし、驚き感激してウルウルきてしまった。

音楽はその場の空気を一気に変える。

先ほどの三線おじさんの演奏は、その時の光景を彷彿とさせた。

「私、この三線のおじさんみたいに、なる!!」

全く弦楽器なんてさわったことのない私が、急に思い立って決意した、三線との出会い。(数年後、ネット注文でお迎えし、1~2年寝かすことになるとは知らず)

 

(沖縄出身ではない私が三線を弾くこと)

私は沖縄の人ではない。沖縄の人とも特にご縁はない。何回か旅行で行ったことがあるというだけ。

だからなのか、沖縄以外の人が三線を、しかも独学でやることは「インチキ」「まがいもの」「偽物」であるような気がしていた。誰に言われたわけでもないのに。

今考えると、それなら沖縄出身以外のプロの三線奏者は偽物なのか?という、大変失礼な思い込み。

さらに、三線という琉球古典音楽にも使われるものだから、民謡とて、どこかで演奏の仕方を習わなくてはならないのでは?もセットで付いてきた。

だけど、本番前。同じ出演者で沖縄出身の仲間が「沖縄以外の人が、沖縄のことを好きになってくれて、三線を使って沖縄の良さを広めようとしてくれるのはうれしい」と何気なく言ってくれた。泣きそうになった。

不安と、自分で作り上げた勝手な妄想も、どこかへ吹き飛んだ。本当にありがとうございました。

沖縄の海が好き。私の地元の森や湖も好き。私にとっては両方大事。

好きなものをただ伝えたいだけなのに、その土地で生まれてないとか、私が思うほどにこだわり嫌がる人は本当にいるのか?

そんなことは、もうどうでもよくなった。

 

(間違えても、堂々と)

出番。話したいこと、伝えたいことが全くまとまらないまま、何かしゃべって終わってしまった。

譜面台を置かせてもらえることになっていたが、楽譜を見ると余計に焦りそうなので、沖縄の海のポストカードを並べ、その周りには森のイメージがする葉っぱやツルを巻き付けて、森と海を見つめながら演奏した。

途中で歌詞が飛んだ。さっきから飛びそうな気がしてので、本当にそうなってしまった。

やばい。でも大丈夫。私の出番の前に、間違えて曲を止め仕切り直し、やり直してくれた人がいたから!

あれ、私も間違えた~。そう思えたので仕切り直しができた。先に間違えてくれて、ありがとう!

私の龍ジャンベが、マイクを通してすごく良い感じの音でリズムを刻んでくれていることにやっと気づけた。何これ、すごいうれしい。

私にとっては、ジャンベの音はなぜか懐かしい気がする音。心臓の鼓動を表しているような、「命」の鼓動のような気がした。

それを私の龍ジャンベが表現してくれたということ。語彙力なくて、やばいとしかいいようがない。

焦ってるけど、身体のど真ん中は不思議とどっしり、みたいな感覚が保て、どうにか演奏を終えられた。

 

(何、この感情?)

舞台から引き上げたところ、雨さんがあたたかく迎えてくれた。今回、雨さんのおかげでこの舞台に立つことができた。

本当にさっきまで自分が演奏をしてきたのか、よくわからないけど、感謝と興奮いっぱいでお礼をいった。

その後、落ち着いて一人になった時。なぜか達成感にひたれないことに気付いた。

何?何が起きている?

家に帰る道中も、何かがモヤモヤしている。疲れているはずなのに、モヤモヤのせいで頭が冴えてしまっている。

なぜ?今できることはやってきたじゃない?

 

(最後に)

自分が想像していたよりも緊張せずにできた。それはお客さん、出演者、このイベントを支える全ての人が、初めての人にも大変優しくあたたかい眼差しで見守ってくれたから。

そうじゃなかったら、こんなに堂々とできなかったと思う。

誰とやるか?それがすごく大事だと痛感した。

このイベントに関わってくれた全ての方に感謝します。

ありがとうございました!

 

(おまけ:アーカイブは今日6/29まで )

ラストチャンスです。まだ間に合う。

見てください😊🌿

 

次回は、本番後のモヤモヤの正体と、そのモヤモヤを晴らしてくれたできごとについてお話しします。

多分、ここまで詳しく何かのイベントについて、私の目を通して見てきたこと・感じたことをお伝えするのは、これで最後な気がします。

 

初舞台に立ちたい!と強く願った方に。

立ちたいかもしれない、と一瞬でもよぎった方に。

怖いはGOするきっかけの一つになれば、幸いです。

 

最後まで読んでくれて、ありがとうございました!

ではまた(^^)/

 

【↓Twitter  雨と月ライブ情報リンク】

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☆おわり☆

本番を前に、突きつけられた課題

今回は、本番を目前に急浮上してきた課題、その時の心情をお伝えします。

音楽初心者の私が、大師匠の雨さんに声をかけられ三線弾き語りを披露した初舞台「雨と月ライブ」。

前回、自分の大切な世界観を伝えたい!と決意。決断できた後の清々しさは一瞬。本番前に向き合うことがまだまだ残っていた。

 

(練習する場所問題)

そういえば、気軽に大音量で三線を練習できる場所がない。

できれば誰にも練習を聞かれたくない💦

まだまだド下手だから人の耳に入るのは迷惑だ、とも思う。

三線セットに「音消し用」の道具は入っているが、音消しを使わない方が間違いなく良い音が出る。

それに、本番と同じ音量で歌を唄いながら練習しないと意味がない気がした。

「もっと人がいないところへ」と、森深く、山深く、どんどん人気のない場所を探し歩いた。

もともと山深くの湖周辺でたまに練習していたが、少し遠いので頻繁には行けない。

もっと近い場所で、どこかないものか。

 

(「人によく見られたい」がたまに顔を出してくる)

人が来ない、静かな森や山にいる方が断然落ち着く。自己受容トレーニングを始めながら、同時に今まで散々「人のために自分を抹殺し役に立つこと」に神経をすり減らしてきたことにだんだん嫌気がさしていった。

一体何のためにやってたんだろう?とばかばかしく、自分にも腹が立ち、人間嫌いになっていた。反動で、極端に人のために何かしたり、分け与えることへの抵抗感が生まれた。

人と関わるより自然の中にいたいと思う気持ちが強まった。

だから余計に、大事な楽しみにしていた約束を直前でキャンセルし、自然の中に逃げ込みたくなる。人はいらない、自然があればいい。自然は私を傷つけない、と思っていた時期もあった。

地道な自己受容トレーニングの成果もあってか、人を避けて自然の中にいることだけが、本当に私のやりたいことではない!と思えるできごとがあった。

けど。

たくさんの人に助けられ、愛じゃないと思っていたものが、実は愛だったと理解でき、泣いた。

自分が満たされていれば、自分の身を削らなくても人に分け与えることができる。苦痛は伴わない。自ら分け与えたくなる気持ちもわかった。

けど。

人間嫌いの前は「人の役に立ち、人によく思われたい」という、自己卑下からくる自己価値を周りに求める姿勢。

自分の弱点のようなもの、ポンコツな部分を人に見られたくない。出したくない。あえて見せる必要ある?という気持ちが、ここにきて出てくる。変なプライド?見栄?

それを出さずにかっこいいとこだけ見せたいなら、うまくなってから出るしかない。ファーストステージ・チャレンジの意義に反するやつだとも気づかず。

だから、一人でこっそりと、ひっそりと練習させてくださいと願った。

 

(結論、人がいない場所なんてない)

カラオケボックスで一人で練習すればいいのでは?←確かに。今ならできる。

基本、自然の中で練習したい。機械に囲まれた人工的密閉空間に長くいるなんてと想像したら「なんか怖い」。しばらくの間、近寄ることもためらわれて行けなかった💦

それをいったら、ライブハウスも同じ。機械と人しかいない。(←この時は正直まだしんどかった。大きめな観葉植物を木に見立てて置くか?それは他の人の邪魔でしかなく、入手方法もあやしく断念🤣)

どうせ人に聞かせるのだし、多少人が行き来するくらいのところで練習して、慣れて度胸を付けたらいいのでは?と思い付く。

それなら!と、森林公園をいくつか偵察。

平日なら人が少ない、もしや人いない?と期待したが、意外といる~!!どこを探しても。近くの川には釣り人がいる。

「なんでー?もう、人いなくなれ~!!」とやきもきする。

いや待てよ?

いつまで「人がいない」ことを望んでる?

まさか、「人がいないところ」で練習できないように、「人がいるところ」でしか練習できないように、計らわれてる??という気がしてきた。

それならあえて森林公園のど真ん中で、おじさんおばさん、犬ちゃん散歩中の人がいようがいまいが、知らん顔で堂々と練習してやろう!と決めた。

 

(お節介おじさんの登場)

実際やってみた。さすがにど真ん中は勇気が出ず、端の方の木陰のベンチに座る。近くに木があり、鳥もたまに鳴くので少し安心。敷地もけっこう広い。

もともと山奥の湖周辺で練習していたので、山登りの通りすがりの集団に聞かれることは多々あった。「私は自然に聞かせてるので、人なんて知らん」のスタンス。誰も話しかけてこない。

だけど、それよりめちゃくちゃ通行人と距離近いんですけど~!?と、動揺。

無視して通りすぎる人もいるけど、この人私の前を通るの何周目?😅

しまいには「三線」と「三味線」をごっちゃにしている散歩中おやじが話しかけてくる。

何回説明してもわかってもらえず、「三味線」に関するおじさんの持ってる知識をやたら披露してくる。

去り際に「どっかで習った方がいいんじゃない?」って。

わかっとるわい!独学で始めて不安になって、私もそう何度となくそう思ったわー!!と思いながら、余計な世話を焼いてくれたおじさんがだんだん面白く思えてきた。

さらに、三線って私が思ってたより、すぐにピンと来ない人多いのかな?と、ますます三線をたくさんの人に知ってほしい気持ちが強まった。

その間、下手な練習に迷惑そうに注意してくる人は一人もいなかった。

変かもしれないが、「下手な私がここにいても、練習していても、いい」。

誰にもそう言われていないけど、そう認知されたような気がして、すごく気持ちが楽になった。

多分あんまり他人のすることに興味がないか、干渉しないだけ。

それでも否定されなかったことがなぜか嬉しかった。

おじさん達、ありがとう!と心の中で感謝した。

 

(急に、声がでかいんだけど!)

人がいるところでの練習にもだんだん抵抗感が薄まってきた。ただし、三線練習のみ。

いつも同じところにいるのは嫌な気がして、あちこち場所も変えながら。やっぱり大声を出しながらの公園での練習はまだ精神的にきつい。自信もない。

奮起して、やっとの思いでカラオケボックスに入り、楽器の練習をしても問題ないか、ドキドキしながら確認。問題なくOKがもらえた。

最初はあまり声が出ない。歌の練習なんて、ちゃんとやったことなどない。

どうしよう?喉がつまる。本番で緊張したらさらに声がでなくなるじゃん!と焦る。

それから、毎日のように移動の車の運転中に声を出すことから始めた。窓を閉め、走りながらなら、大声でも一瞬で過ぎ去るから問題なし!と、出せる限りの大声も出してみた。

始めは喉がからんで出なかった声が、だんだん出やすくなってきた。毎日声を出せば出すほど、前の日よりさらに早いタイミングで声が出る。嬉しくなって調子に乗って、大声でも歌ってみる。

その状態で、カラオケボックスで弾き語り練習に入ると、なんだかすごく声が出せるようになってる気がする!!また嬉しくなる。「声が、めっちゃ出るー⤴️」

以前の私は自信の無さから声があまり大きくなかった。私は大きな声が出せない体なんだな、と決めつけていた。

話し声が小さくて相手が聞き取れず、何度か聞き返されると嫌な気持ちになる。「もういいよ」と話をやめる。

こっちは大きな声が出せないんだから、聞き返されると嫌な気持ち、わかってよ!と、相手のせいにする。

自分が相手に聞き取りやすいように話そうという配慮に欠けている。今ならわかる。

そんな私が最近、話し相手に「内緒話になってないくらい、声でかいんだけど!!丸聞こえじゃん」とか。「なんか最近急に声でかくなってない?そんな風に大きな声が出してみたいよ」と言われた。うそでしょ。

意識が変われば身体の使い方も変わってくるんだ!

身体をうまく使えてなかっただけ!?と気づく。もっと意識が変わればもっともっと身体の変化が出るのかも!と、身体を使うことが面白くなってきた。

公園・カラオケ・たまに自然の中、という練習場所を転々とし、練習に励んだ。

 

(やってきた課題1 「お金」への執着)

練習場所と発声問題がどうにか解決。

最後に出てきたのが二つ。

まずは「お金」。

歌いたい!楽器をやりたい!心からやってみたかったことがついに始められた。それをいよいよ人にお見せする。

ただやりたいから、やる。お金にならなくても関係なく、やりたい。

そんな気持ちでスタートしたはずなのに、いつの間にかライブの「出演料」のことを気にしている自分がいることに気づく。

 

雨さんが後輩である私のために場所を作ってくれた。むしろ私がお金を払ってでもお願いしたいくらいの立場なのでは?

仮に出演料がもともと出ないとしても、出ても、本来は関係なかったはず。
それなのに。

集客の結果次第では、赤字もしくは±0=支払えるお金がない可能性がないとはいえない。だから集客する。

よく考えればわかるそんなことも考えず、それを知ってショックを受けるなんて。

「私は結局のところ、自分の好きな世界観を表現したいんじゃなくて、お金のためにやってたんだ?」「はしたないね。それじゃ、どんだけ頑張っても私に支払う価値ないでしょ」みたいな、急にどん底へまっしぐらな気持ちに。

お金がもらえなくても、もらえても関係なく、やりたかったんだよね?違うの?という考えが心をえぐり、悶々として練習が手に付かない。

 

(課題2「集客」への罪悪感)

今回、仮名と匿名で出演を決めたことで、私を知る身近な人達への声かけが一切できなかった。

家族や友人知人はもちろんのこと、職場の仲良しな人達にすらも。

周りの理解が得られていない。それは今の私がそういう世界にしてしまっている部分もあって、話し合いが足りないのかもしれない。

いつかは話すとて、まだ今じゃない。そういう思いで仮名・匿名と決めたのだから、むしろそういった、悪くいえば「しがらみ」ともなりかねない対象を、この場に招くことは違和感しかなかった。

自分で選んで決めたのに。集客や宣伝は人任せ。拡散力もなければ文才もない。SNSは、この「そる」名で立ち上げるのもまだ違和感しかなく、立ち上げられないから告知もできない。

というか、最初は手探りでとりあえず経験を!という思いで、そこまで考えられなかった。

そんな私がファーストステージ・チャレンジを自ら宣伝する方法が見当たらないことで、まるで自分は無関係のような、そもそもそんな企画が初めからなかったような、お客さんのような、受け身で何もしていないような気がして悲しくなった。

ここでもやはり、私は役に立てないのかと。自己卑下が復活してしまいそうな。

 

(「事実」と「思ったこと」をありのままに受け止める)

もう、それらの気持ちをただただ受け止めるしかない。そうしないと、また腹の奥底にモヤモヤを溜め込むことになるとわかっていたから。

じっくりじっくり受け止めたら、お金に関しては「それは、そこまで悪いことではない」と思えてきた。

「お金」は「愛の循環」なのだから。お金をほしがることってそんなに悪いことではないのでは?と、少し心に晴れ間が出てきました。
私が良いな、素敵だなと思った歌とイメージと世界観を伝えたいのは、私のためでもあるけど、それを届けた人に少しでも「いいな」と思ってもらえたら。

それは、「循環」ってことに近づけるのでは?
それに、今やってる「好きじゃない仕事」以外で、頑張ったことで報酬が初めてもらえたらどんなに嬉しいことなのだろう!!という、少し憧れの気持ちもあったんだよね?と思い始め。
最初はお金もらえるとも思ってない→もらえるならほしい→どっちでもいいへ、徐々に気持ちを切り替えることができた。

 

集客に関しても、今回はもう仕方ない。別の機会に、私ができることで力を存分に発揮することでしか役に立つ方法はないと。

みなさんに感謝しつつ。がんばってくれているみなさんのためにも、今の私ができることを本番でやりきるしかない!と、前向きにあきらめることができた。

 

(最後に)

雨と月ライブのアーカイブは今日が最終日のようです。

ラストまで私ができることとして、舞台本番までにあったこと、舞台への思いををかいつまんでお伝えしてきました。

何か感じるものがあれば最高に幸せです♪

 

次回はいよいよ、本番当日のお話です。

果てして、みなさんの目に写るものと、私の心情はどう違ったでしょうか?

 

(おまけ:アーカイブ、まだ間に合う!!)

※音楽ライブの形式ですが、スピリチュアルな要素も含みます。(エネルギーワークが強めに働いている内容の為、見るだけで元気が出る&運が良くなる)

 

【↓Twitter  雨と月ライブ情報リンク】

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最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!

ではまた(^^)/

 

☆おしまい☆

ライブ出演への「恐怖」が「興奮」に変わる

今回は、自らライブ出演を希望するに至った心情や、できごとをお伝えします。

音楽初心者の私が、大師匠の雨さんに声をかけられ三線弾き語りを披露した初舞台「雨と月ライブ」。

出る一択!という確信に変わった。そう思えるまでは、悩みは尽きない。

 

(「出る」前提で、過ごしてみる)

ライブでも少し話しましたが、「ライブありき」のスケジュールで過ごせるのか、試すことに。

もし近づくにつれて「無理!」となったら、本番はできない。

それは、私がその少し前までしていた悲しい行動をここでも発揮する可能性があったから。

「心優しい、あたたかい人達の輪に入ることから、逃げること」→え?なんで?そんなこと??

少し不幸状態に慣れ親しんできた私には、そのことへの拒否反応がものすごかったのでした。

その場に入ると、何かが変わってしまうから。もう後戻りできなくなる。

少し不幸な現状維持から抜けることが恐怖だなんて、おかしいのはわかってる。

絶対に、優しくて良い人達。頭ではわかっている。気持ちはそうしたい。でも、無理。

足がすくみ、動悸息切れで体調悪化。とてもじゃないが外出できそうもない。

そうやって、地道な自己受容トレーニングを続けていきながらも、約束を何度も何度も破り、申し込んだイベントごとを何回当日の朝キャンセルしたか。最初は心から「楽しそう!行きたい!」と思ったのに、ひどいですね。

その結果、再び罪悪感と後悔からの自己否定…。

さすがに「出る!」と言ってしまったら、当日の朝逃亡し出番に穴をあけるにはいかない💦

 

(もう一つの不安)

当日のメンタル問題も体調も不安。

それに、私、何をやる?曲は?楽器は!?

三線は色んな曲をあれこれ練習し、まだまともに覚えた曲は一つもない。

どうしよう!!

 

その頃、タイミングとしては三線と決別した後か、三線と仲直りした後かは忘れましたが、いつからか「持ち運びができる大きさの楽器」を集め始めていて。

三線は曲を奏でながら歌うもの。でも、練習してある程度のレベルにならないと、思うがままに意図した音が出せない。他の楽器もたいていは同じ。

三線三線の良さがある。三線の練習をさぼりたいわけではないし、そのレベルにいつかはなりたい。

ただ、メロディを気にせず思うがままに音を奏でられる楽器がすごくほしかった。一心不乱に心ゆくまで音を出しても、不協和音にならない音が出したかった。

それでお遊び的に、効果音的に使える民族楽器・小さめのタングドラム等、心惹かれた楽器達を集め、少しずつ増えていく。

そこに来て、「そういえば、一年前からほしくて待ってた、ライアーの木の部分を手彫りするワークショップ。ライブ前にある!!」と気づく。

ライアーは、誤解を恐れずに言うと、仮に適当に弾いてもそれなりに曲のように聞こえる素晴らしい楽器。

もしかしたら披露すべきは三線ではなく、そっちか?とまだ気持ちがうろうろ。

この時すでに5月。さぁどうしよう?

 

(雨さんの魔法学校)

魔法学校。雨さんの師匠、ドラゴンマスターSHINGOさんから学んだエネルギーの使い方を、雨さんがさらにその弟子達に伝授するもの。

私もついに入学し、エネルギーについて学んでいた。雨さんからライブのことをどうするか聞かれ、曖昧な返事をしてしまう。これから一体どうしよう?

答えが出ない。

 

(もう、やるしかない=怖いはGO)

なんとなく、この曲素敵だなと思っていた曲はあった。

でもそれをやりたいかどうかは、煮え切らない。

魔法学校の帰り道。その曲の歌詞についてぼんやりと考えていた。

 

手嶌葵さん 「家族の風景」という曲】

 

原曲はアイルランド民謡。日本語の歌詞を付け、関西方面の電気ガス会社のCMに使われたという記事をネットで見た気がする。

私は関東なので知らなかった。

原曲の「サリーガーデン」という曲は、私が大好きな馬頭琴奏者の美炎さんがライブで演奏していて知っていた。(馬頭琴はモンゴルの弦楽器です🐴)

だけど、他の自然をテーマにしたオリジナル曲の方が好きで、忘れてた。

 

何かのタイミングで、サリーガーデンが流れているのを聞く。

やけに耳に残ったので調べた→そういや、美炎さんが弾いてたな→原曲を聞いた→演奏する人・歌う人によって全然雰囲気が変わるんだ!すごい!!

日本語の歌詞で歌えないかな?と探したところ、手嶌葵さんが歌っていた。

 

家族を大切に思う気持ちが書かれた、素敵な愛にあふれた歌詞。

少し前の悲壮感が隠しきれない私に、本当に歌うことができるのか?

まだダメかもしれない。早いかも。それで曲を選べなかった。

でも、少しずつ「少し不幸」から抜け出そうと取り組んできた今の私だからこそ、この「愛しかない曲」を歌うべきではないのか?

 

(急に歌詞の新しい「解釈」が降ってきた)

まるで使命感のように、この曲を歌うことを自分自身に突き付けた。

 

「あなたがいる 柔らかな光 満ちた家」

「あなたがいる 何気ない 毎日の中に」

 

この出だしの部分を聞いた時、「お互いを思いあっている素敵な家族が住んでいて、その大切な人が側にいるだけで毎日幸せなんだ~」と、普通の解釈をしていた。

それだけでも、自分のことと重ねて涙した。

本当は愛されたくて、愛を求めてるくせに拒否してる自分を認めてあげられなかったこと。

自分が幸せになってもいいと許可できなかったこと。

本当はその歌詞のように家族を大切にしたかったこと。また、そのような家族を持ちたかったこと。

そのことに気づけた大切な曲。

少しずつでも自分を許し、愛せるようになってきて、毎日笑顔で過ごせるようになってきて。

やってみたかった楽器も下手だけどやってるし、エネルギーのことも学んでるし。

なんなら楽器達を持って湖や森で奏でてるし。時々は神社の境内でも人がいない時にこっそり神様に音を聞いてもらったりして。

些細なことからだけど、やりたかったこと、できてるんじゃない?と自分を認められて。

自分が何かしてもらうばかりでなく、自分からも何かをしたい、与えたいと少しずつ思えるようになっていて。

 

そんなことを考えていたら、急に歌詞の新しい解釈が思い付く。

この歌詞の「家」というのは、実は「地球」にも置き換えられるのでは?と。

私達は自分の意思でこの地球に生まれてきているという。

地球上でたくさんの人達と出会い、交流し、たくさんのことを体験しに来ている。

多くの人が地球に暮らす中、出会えるご縁はごくわずか。それでも大切な人には必ず会える。

そんな、やわらかくてあたたかい光である大切な人が側にいるって、感謝しかない!と思う。

大切な人・何気ない暮らし・豊かな自然・この世に生まれた大切な命の全て。

私が大切にしたいと思う世界観、そのままだったのでした。

それを、感謝の意とともに伝えたいのは私!それを伝えるのも私だ~!!

いっそのこと、自然大好きエネルギーも送って、会場を森と海の空気にで包んでやる~⤴️と、一人奮起したのでした。

 

(最後に)

私が大事にしているもの、ほとんど全てが盛り込まれた曲。

それを、大好きな青い海がある沖縄で生まれた三線の演奏で歌うこと。

私が「素敵だな」と思う、何かと何かをガッチャンコして一つにする。したい。

無理に一つにならなくても、それぞれがそれぞれあるのでもいい。

何かと何かをかけあわせると、何か面白いものができるような気がする。

曲→アイルランド→森のイメージ

楽器→沖縄→海のイメージ、等等。

一見ちぐはぐかもしれないけれど、私はどっちも好きだから、それでいい。

そもそも原曲の歌詞は、家族の感動する歌では一切ないのだから、それもまた面白い。

 

細かいところや時系列的にはしょったところも多々あるので、わかりにくい箇所もあるかもしれません。

 

歌うべき曲が決まれば自ずと腹も決まり、ライブを支えるメンバーが本当に優しくてあたたかく、面白い人達だとわかり。

「ライブに出る前提」でいたことも忘れるくらい、当たり前にライブの準備をしていたことに気づく。

それで、ようやく三線の練習に専念し本番に臨んだわけでした。

 

(おまけ:しつこいようですが、雨と月ライブのアーカイブは6/29まで)

Twitter  雨と月ライブ情報リンク】

https://twitter.com/sorusoru3588636/status/1672292727973904384?t=8bga9S493RgSZlhp_gARnA&s=19

 

最後まで読んでくれて、ありがとうございました♫

ではまた(^^)/

 

☆おわり☆

「悲壮感」と言われた私が「初舞台」に誘われる

今回からは、ライブ出演の依頼を受け本番を迎えるまでに感じたこと、ファーストステージ・チャレンジに出る意味をお話していきます。

音楽初心者の私が、大師匠の雨さんに声をかけられ三線弾き語りを披露した初舞台「雨と月ライブ」。

卑屈・不幸感満載で裏方に徹してきた私が、「人前に出る!」と決め、出演するまでに感じたこと等々を、数回に分けてお伝えします。

何か感じるものがあれば幸いです!

 

(大好きな雨さんのこと)

私の大大大師匠、雨(あめ)さんとは?

既にご存じの方はここは読み飛ばしてもらってOKです。念のため、簡単に説明します。

【雨さん(ドラゴンパフォーマー)☂️🐉】

ドラゴンマスターSHINGOさんのお弟子さん。スピリチュアルな分野にとどまらず、演劇・歌・講演・個人セッション等々、表現のスペシャリストとして活躍。

YouTube配信等もされていて、現在、雨さんの豊富な知識を本にして出版し、たくさんの人に伝えるために「全国出版オーディション」に挑戦中。本選で合格すると本が出せる!

そしてご自身の「出版」という夢だけでなく、雨さんの元に集うたくさんの人達の夢を「雨さんがみんなの願いを叶えたい」という夢として結集させ宇宙に飛ばす。そして叶える!!🌠

日々、愛にあふれる活動をされています。

要するに、何でもできちゃうし、可愛いし、愛にあふれる凄い人。

優しく、時に男気あふれてカッコよく、愛をもってお尻をたたいてくれる人。たまにちょっと見え隠れするポンコツなところもたまらん!という、魅力あふれるお方です♪

 

雨さんとは、今から約一年前に出会いました。

とりあえずその日をやり過ごすだけの、辛く嫌なこと多めの毎日を過ごす私。

人生が「楽しい」という感覚を持って生きられるなんて、嘘。楽しく思うがままに生きられるのは一部の成功してる人だけ。無理でしょ、と。

「少し不幸であること」が当たり前の人生観しか持ち合わせておりませんでした。

それでも、本当はみんなに必要とされたい。愛されたい。幸せになりたい。周りの大切な人を悲しませたくない。現状を変えたい!

そんな思いで、自己啓発からスピリチュアルまで、現状を変えるヒントになりそうな色んな情報を探し求め、学び、模索しながらの約一年。

雨さんの「江ノ島リトリート」なるものをSNS上で発見。

最初はコメントするのも怖かった!

「この人を信じて、申し込んで、本当にいいのか?大丈夫か?」

その当時は、スピリチュアル的なことに興味をもちながらも、どこかで自分にはほど遠い「夢の世界」「そんなの現実じゃない」みたいな感覚の方が強かったので。

それでも勇気を出してコメント。最終的にリトリートに申し込んだ。

それは雨さんの言葉が、現実にしっかり根差した発信ばかりだったから。

「知識の乏しい」+「少し不幸な思考頭」な私でさえも、少しの希望をもって「行動できそうかな」と思えるヒント。

それに、私が学生時代に生き様に憧れたDRAGON BALLの悟空に関する雨さんのコメントを見たからでした♪

悟空の「これからまだ見ぬ強いやつらとの戦い」に「わくわくすっぞ!」と興奮を覚え、わくわくするから体が勝手に動く→「これって引き寄せじゃん!!」と気づいて嬉しくなってた矢先。雨さんも同じような悟空の話をSNSで上げていて。

もし何も変わらなくても、申し込んだことを後悔することになっても、それでも行ってみたい!信じたい!と申込んだ。

その時の私のあまりの悲壮感と、現実を変えたくてもがいてるのに全然うまくいってない危なっかしい様子。

雨さんが私を放っておけなかったと後になってから聞きました。その後も何かと面倒を見ていただき、色んなことを教わり、今に至ります。

 

(悲壮感がにじみ出ている)

私の現状を変えるため、私が今やっていること・できること・好きなことを洗いだし、その分野を深めていこう!と、少し不幸生活からの脱出作戦のようなものが始まった。

自分には一切価値がなく、自分の身を削ってでも人の役に立たなければ、存在価値はないと確信を持って生きてきた。

なので、自分の気持ちを長きに渡って散々無視し、押し殺してきた結果、何がしたいかなんて急に言われてもよくわからない。

それでも自分で約一年間、必死に模索してきたかいあってか、「こうなれたらいいな」「こういう生活に憧れて」というのはいくつか出てきた。

今となってはよく覚えてない部分も多々あるが、どれも中途半端に手を付け、商品化や仕事として収入に繋がるものはなく。

さらに言えば、大してその分野への理解もスキルも深まりきっていないのに、一刻も早く完成形になりたくて、焦っている。

早く一人前になって結果を出さなければという焦りで、気持ちは今ここにない。先の未来だけ。途中経過はすっとばしたい。

だから、その分野にしっかり向き合えていない。そもそも楽しんで取り組めていないから、興味はあれど、さほど楽しくない!

早く行動しなきゃ!→でもできてない→自己嫌悪からの自己否定・自己卑下、の悪循環。

そのやりたいことの中で、始めたばかりのこととして、三線があった。

コロナ渦、お家で三線始めよう!セットなるものがネットで出ていて、気になった。

色んな三線取り扱いサイトを調べに調べ、とある沖縄の三線のお店からネット注文で買うことにした。

だけど、早く何かの一人前にならなくては!の生活が忙しく、購入したことに満足したのもあり、一年~二年くらいケースにしまったまま寝かせた。

何のきっかけかは思い出せないが、急に「先延ばし」していることに嫌気が差し、一念発起して三線をケースから出して練習した。

「音が出た!」

単純にそれだけで、嬉しかった。

でも、買っちゃったけどこれからどうしよう?独学で上手くなれるのか?

セットの付属のテキストとDVDと、三線を教えるYouTube見るだけで、教わらなくて大丈夫か?等々。

何を始めるにも「ただ楽しんで、やってみる!!」よりも「これ、やってて大丈夫?意味ある?」が出てくる。

それに、弦楽器どころか楽器自体が超初心者。吹奏楽部にいたわけでもないし、ちゃんと楽器扱えるの?メンテナスは?という不安も。

当然、さわるのもおぼつない趣味でしかない三線

何の一人前になったらいいか?まだわからなかったが、その前にもっとやることがあった。

そもそも低すぎる「自己イメージ」をもっと上げ、「物事の捉え方」を書き換えるために自己受容が必要。

しかも受け身ではダメだし、そう簡単には変えられない。自分で自分に働きかけ、地味でつまらない辛~い行動を積み重ねていく。そうして土台を整えないと、何をしても元の自己否定・自己卑下&自己犠牲のスタンスに戻ってしまう。

そんな状態で雨さんに三線を披露しても、

「なんというか、悲壮感が強いね」(←雨さん)

「・・・!?😱」(←私。言葉も出ない)

雨さんは演劇の舞台や色々なお仕事で、人前に立つ・人を楽しませるということを熟知したお方。

私が歌う理由は、自分の辛く悲しい気持ちを埋めるため。とてもじゃないけど「私の演奏で、目の前の人を元気にしたい!」はない。

その現実はとても悲しく、その当時の私にはそんなことはできやしない。

なぜなら、私が元気じゃないし過去の経験で心が傷だらけ。だから人を元気にできるわけがないし、できるとも思えない。

ただ、好きな歌うことが褒められれば嬉しく、自分の存在価値を認めてもらえるかもしれない。

だから、あえて人前に出てまで歌を披露したくない。(→大勢の人に批判されるとしんどいから)

そのくせ、たまたま歌を聞いた人にもし褒めてくれる人が数人でもいてくれたらラッキー。歌うことは好きだから歌うこと自体はやめたくない。

でも、人に聞かせないと褒めてもらえない。でもでもでも…。

みたいな、おかしなこじらせ度ハンパない思考にも気づけていませんでした。

 

(三線は悪くないけど、見たくない)

というわけで。

悲壮感がにじみ出ている自覚がなく、どうしたら悲壮感が今すぐ抜けるかわからず。

少し不幸だけど健気に謙虚にがんばってます!みたいな印象だったらしい私が、初めて雨さんという第三者からの率直な意見をいただいて。

人前に立つことの意義と姿勢を教わり。

その後。

いつの間にか三線をケースから出すこともなくなっていきました。

 

(雨さんからの依頼)

またしても三線をケースの中で眠らせてしまっていたわけですが。

その後、おそらく半年以上?が経過した頃、悲壮感も少しずつとは言え軽減していき。

三線やりたい!」と思ったきっかけを思い出す機会があり、三線のせいにするのはやめ、再び練習を始めました。

 

それから今年の3月、雨さんから「ライブ、出ない?」のお誘い。

「出ます!出させてください!」と、やっと正式に返事ができたのが、5月。

約二か月近く葛藤してたようで。

悲壮感がまだ抜けきれていないのでは?という不安を抱えつつ。

ライブに向け、毎日三線と歌の練習をする日々が始まり。

6/15に無事出番を終えることができたのでした♪

 

(最後に)

ステージに立ちたい人は、立てます!

立ちたいと本気で思うなら。

ステージに立つことに恐怖が先立ったとしても、胸の内側やみぞおちの奥の方から沸き上がる興奮やざわめきを少しでも感じたのならば、できる!

つい最近まで、悲壮感を無意識ににじませいた私ですら、堂々とできたのですから。

多分、3月~4月くらいまでは、まだ「悲壮感の残骸」を持ってたと言われた気がします。

だから、できる!!!

 

(おまけ:雨と月ライブの【アーカイブ】は6/29の23:59まで)

★まだ「雨と月ライブ」を見ていない方へ★

ご興味をお持ちになった方は、ぜひ可愛くて最強な雨さん主催のライブのアーカイブを見てください♪

 

★また、私の「悲壮感」がどうなったかは、アーカイブで確認してください😆

 

(おまけ その2:雨さんの活躍リンク)

~私の説明より、見た方が早いので~

○雨さんの出版オーディションについて↓

全員無料参加❣️
星に願いを!プロジェクト

https://akhsamef.wixsite.com/website/777

○雨さんの公式ツイッターYouTube・blog・インスタ等々↓

https://lit.link/ame222?s=09

 

最後まで読んでくれて、ありがとうございました!!

ではまた~(^^)/

 

☆おわり☆

【初投稿】はじめまして、そるです♪

 今日からブログを始めることにしました。

はじめまして。そる、と言います☺️

 

(まずは私のこと)

私は最近音楽活動を始めたばかりの、音楽初心者です。

主に、沖縄の三線弾き語り・ライアーを練習しています♫

自然の中で1日ボーッとしていたいくらい自然の中にいるのが好きです。楽器を持って自然の中によく行きます。

昔から歌うことが好きでしたが、ずっと心の奥底に閉じこめ、長年なかったことにしてきました。

10代の頃、友人にすごく歌のうまい人がいました。

それに比べて私には才能がない!凡人が音楽をやる資格はない!!という思い込みがあったんですね。

それでも、本当にやりたいことは、生きていく中で何度も何度も顔を出してきて。

「向き合え!」と言わんばかりに向き合わざるを得ないできごとが何度も起きました。

その度に無視したり、理由をつけてあきらめてきました。

 

(このブログを始めた理由)

先日、初めて音楽ライブに出演させていただきました。

いつもお世話になり、面倒をかけ、迷える私を常に最善へと導いてくれる大師匠が主催のイベントに声をかけていただいて。

「上手い下手関係なく、出てみない?」と。

「えー!?なんで私~?」と、驚きと恐怖と興奮と、何がなんだかわからないパニックでした。

ド素人の私が、とてもじゃないけど人に見せられるレベルになかった三線の弾き語り。

でも披露してきちゃいました!

意外にも、披露できたんです。

そこに至るまでの経緯や、本番にかける熱意や思いは、またの機会に書きたいと思いますが、このブログを始めた理由。

 

それは、この、長年抹殺してきた「音楽」という、最もこだわりが強く、楽しく心踊る大好きなことに関する初めてのチャレンジ。

裏を返せば、ここで失敗し自分に失望したら、自分にはもう何もないかもしれないという恐怖。それも長い年月の蓄積。

結果はともあれ、そのことに挑戦できたのに。

またしても、何もなかったことにするかのごとく、沈黙を続けることに疑問を感じたからでした。

 

大師匠が過去に、そのまた師匠が用意してくれた舞台に上がり、パフォーマンスを披露し今の飛躍に繋がっている。

そういう「うまくなってからやる」のではなく、経験の浅いうちから披露して、経験を積む「ファーストステージチャレンジ」という素敵で愛にあふれる企画。

その企画に出させていただけただけで、感謝しかない。

なのに。

そこにかける思いや大師匠への感謝。

私以外にもファーストステージにチャレンジしてみたい人、してみたいけど怖くて足がすくんでる人に「こーんなただの普通の私でも、どうにか舞台に上がれたんだよ!」「だから、あなたにもできる!!」と。

何も伝えないままで本当にいいの?という自問自答がわいてきたのでした。

 

仮名(そる)で、顔出し無しで出演しました。

事前告知もせず、会場に来て初めて知る(あるいは、オンラインかアーカイブで見て初めて知る)。

もともと、この出演後も引き続き「そる」名で活動していきたいのかよくわからなかったので、出てから決めればいい!と、そのような形を取りました。

 

なので、この最高に愛しかない企画。

そこにまつわる話を、チャレンジした本人(=私)がしなくて他に誰がしてくれるの!?

いないでしょ、ということで。

心から本気で願えば機会を用意してくれる人は必ず現れるし!

必要な人には出会えるし!

大師匠は最高に愛にあふれた人だと伝えたいし!

ライブ関係者もみんな、真剣に良いものを提供しようと力を尽くしたし!

今更ながら、大師匠主催の初イベントを、始まりから終わりまでインタビュー&ドキュメンタリー形式で動画にして公開し、みんなの思いを紹介したかったくらい!!

(↑全て終わってから思い付いたので、もう遅い💦)

素人でもやりたければ音楽やればいい!

森や水や沖縄の海で楽器やりたい!

伝えたいこと、やってみたいことがたくさんあったのです。

 

(最後に)

ライブに出てみた結果。

本当に貴重で大切な経験ができました。

たくさんの人に助けてもらい、そこでしか味わえない感情や経験ができた。

それでも、やっぱり「そる」として、今後どうしていきたいかは、よくわかっていません。

それでもいいかなと。

三線の練習は続けているし、ライブ後に新たな音楽好きな仲間との出会いがあったりと、環境は少しずつ変わり始めていることは確かです。

 

(おまけ:ライブのアーカイブ視聴が6/29まで)

というわけで、

不定期更新でブログを始めます。

主にTwitterで時々つぶやくことをしておりますが、そるのTwitterも最近始めたばかりです。

長文を書きたくなったら、ここで書くというスタイルでいこうかと思っています。

 

Twitterの方で、私も出演した「雨と月ライブ」の詳細やアーカイブ情報等も出ているので、ご興味をもたれた方は見ていただけると嬉しいです♪

 

また、ブログ初心者の為、読みにくい部分等ありましたら今後レベルアップして改善していきます。

最後まで読んでくれて、ありがとうございました♫

ではまた(^^)/

 

※音楽ライブの形式ですが、スピリチュアルな要素も含みます。(エネルギーワークが強めに働いている内容の為、見るだけで元気が出る&運が良くなる)

 

【↓Twitter  雨と月ライブ情報リンク】

https://twitter.com/sorusoru3588636/status/1672292727973904384?t=8bga9S493RgSZlhp_gARnA&s=19

 

☆おしまい☆