ライブ出演への「恐怖」が「興奮」に変わる
今回は、自らライブ出演を希望するに至った心情や、できごとをお伝えします。
音楽初心者の私が、大師匠の雨さんに声をかけられ三線弾き語りを披露した初舞台「雨と月ライブ」。
出る一択!という確信に変わった。そう思えるまでは、悩みは尽きない。
(「出る」前提で、過ごしてみる)
ライブでも少し話しましたが、「ライブありき」のスケジュールで過ごせるのか、試すことに。
もし近づくにつれて「無理!」となったら、本番はできない。
それは、私がその少し前までしていた悲しい行動をここでも発揮する可能性があったから。
「心優しい、あたたかい人達の輪に入ることから、逃げること」→え?なんで?そんなこと??
少し不幸状態に慣れ親しんできた私には、そのことへの拒否反応がものすごかったのでした。
その場に入ると、何かが変わってしまうから。もう後戻りできなくなる。
少し不幸な現状維持から抜けることが恐怖だなんて、おかしいのはわかってる。
絶対に、優しくて良い人達。頭ではわかっている。気持ちはそうしたい。でも、無理。
足がすくみ、動悸息切れで体調悪化。とてもじゃないが外出できそうもない。
そうやって、地道な自己受容トレーニングを続けていきながらも、約束を何度も何度も破り、申し込んだイベントごとを何回当日の朝キャンセルしたか。最初は心から「楽しそう!行きたい!」と思ったのに、ひどいですね。
その結果、再び罪悪感と後悔からの自己否定…。
さすがに「出る!」と言ってしまったら、当日の朝逃亡し出番に穴をあけるにはいかない💦
(もう一つの不安)
当日のメンタル問題も体調も不安。
それに、私、何をやる?曲は?楽器は!?
三線は色んな曲をあれこれ練習し、まだまともに覚えた曲は一つもない。
どうしよう!!
その頃、タイミングとしては三線と決別した後か、三線と仲直りした後かは忘れましたが、いつからか「持ち運びができる大きさの楽器」を集め始めていて。
三線は曲を奏でながら歌うもの。でも、練習してある程度のレベルにならないと、思うがままに意図した音が出せない。他の楽器もたいていは同じ。
三線は三線の良さがある。三線の練習をさぼりたいわけではないし、そのレベルにいつかはなりたい。
ただ、メロディを気にせず思うがままに音を奏でられる楽器がすごくほしかった。一心不乱に心ゆくまで音を出しても、不協和音にならない音が出したかった。
それでお遊び的に、効果音的に使える民族楽器・小さめのタングドラム等、心惹かれた楽器達を集め、少しずつ増えていく。
そこに来て、「そういえば、一年前からほしくて待ってた、ライアーの木の部分を手彫りするワークショップ。ライブ前にある!!」と気づく。
ライアーは、誤解を恐れずに言うと、仮に適当に弾いてもそれなりに曲のように聞こえる素晴らしい楽器。
もしかしたら披露すべきは三線ではなく、そっちか?とまだ気持ちがうろうろ。
この時すでに5月。さぁどうしよう?
(雨さんの魔法学校)
魔法学校。雨さんの師匠、ドラゴンマスターSHINGOさんから学んだエネルギーの使い方を、雨さんがさらにその弟子達に伝授するもの。
私もついに入学し、エネルギーについて学んでいた。雨さんからライブのことをどうするか聞かれ、曖昧な返事をしてしまう。これから一体どうしよう?
答えが出ない。
(もう、やるしかない=怖いはGO)
なんとなく、この曲素敵だなと思っていた曲はあった。
でもそれをやりたいかどうかは、煮え切らない。
魔法学校の帰り道。その曲の歌詞についてぼんやりと考えていた。
【手嶌葵さん 「家族の風景」という曲】
原曲はアイルランド民謡。日本語の歌詞を付け、関西方面の電気ガス会社のCMに使われたという記事をネットで見た気がする。
私は関東なので知らなかった。
原曲の「サリーガーデン」という曲は、私が大好きな馬頭琴奏者の美炎さんがライブで演奏していて知っていた。(馬頭琴はモンゴルの弦楽器です🐴)
だけど、他の自然をテーマにしたオリジナル曲の方が好きで、忘れてた。
何かのタイミングで、サリーガーデンが流れているのを聞く。
やけに耳に残ったので調べた→そういや、美炎さんが弾いてたな→原曲を聞いた→演奏する人・歌う人によって全然雰囲気が変わるんだ!すごい!!
日本語の歌詞で歌えないかな?と探したところ、手嶌葵さんが歌っていた。
家族を大切に思う気持ちが書かれた、素敵な愛にあふれた歌詞。
少し前の悲壮感が隠しきれない私に、本当に歌うことができるのか?
まだダメかもしれない。早いかも。それで曲を選べなかった。
でも、少しずつ「少し不幸」から抜け出そうと取り組んできた今の私だからこそ、この「愛しかない曲」を歌うべきではないのか?
(急に歌詞の新しい「解釈」が降ってきた)
まるで使命感のように、この曲を歌うことを自分自身に突き付けた。
「あなたがいる 柔らかな光 満ちた家」
「あなたがいる 何気ない 毎日の中に」
この出だしの部分を聞いた時、「お互いを思いあっている素敵な家族が住んでいて、その大切な人が側にいるだけで毎日幸せなんだ~」と、普通の解釈をしていた。
それだけでも、自分のことと重ねて涙した。
本当は愛されたくて、愛を求めてるくせに拒否してる自分を認めてあげられなかったこと。
自分が幸せになってもいいと許可できなかったこと。
本当はその歌詞のように家族を大切にしたかったこと。また、そのような家族を持ちたかったこと。
そのことに気づけた大切な曲。
少しずつでも自分を許し、愛せるようになってきて、毎日笑顔で過ごせるようになってきて。
やってみたかった楽器も下手だけどやってるし、エネルギーのことも学んでるし。
なんなら楽器達を持って湖や森で奏でてるし。時々は神社の境内でも人がいない時にこっそり神様に音を聞いてもらったりして。
些細なことからだけど、やりたかったこと、できてるんじゃない?と自分を認められて。
自分が何かしてもらうばかりでなく、自分からも何かをしたい、与えたいと少しずつ思えるようになっていて。
そんなことを考えていたら、急に歌詞の新しい解釈が思い付く。
この歌詞の「家」というのは、実は「地球」にも置き換えられるのでは?と。
私達は自分の意思でこの地球に生まれてきているという。
地球上でたくさんの人達と出会い、交流し、たくさんのことを体験しに来ている。
多くの人が地球に暮らす中、出会えるご縁はごくわずか。それでも大切な人には必ず会える。
そんな、やわらかくてあたたかい光である大切な人が側にいるって、感謝しかない!と思う。
大切な人・何気ない暮らし・豊かな自然・この世に生まれた大切な命の全て。
私が大切にしたいと思う世界観、そのままだったのでした。
それを、感謝の意とともに伝えたいのは私!それを伝えるのも私だ~!!
いっそのこと、自然大好きエネルギーも送って、会場を森と海の空気にで包んでやる~⤴️と、一人奮起したのでした。
(最後に)
私が大事にしているもの、ほとんど全てが盛り込まれた曲。
それを、大好きな青い海がある沖縄で生まれた三線の演奏で歌うこと。
私が「素敵だな」と思う、何かと何かをガッチャンコして一つにする。したい。
無理に一つにならなくても、それぞれがそれぞれあるのでもいい。
何かと何かをかけあわせると、何か面白いものができるような気がする。
曲→アイルランド→森のイメージ
楽器→沖縄→海のイメージ、等等。
一見ちぐはぐかもしれないけれど、私はどっちも好きだから、それでいい。
そもそも原曲の歌詞は、家族の感動する歌では一切ないのだから、それもまた面白い。
細かいところや時系列的にはしょったところも多々あるので、わかりにくい箇所もあるかもしれません。
歌うべき曲が決まれば自ずと腹も決まり、ライブを支えるメンバーが本当に優しくてあたたかく、面白い人達だとわかり。
「ライブに出る前提」でいたことも忘れるくらい、当たり前にライブの準備をしていたことに気づく。
それで、ようやく三線の練習に専念し本番に臨んだわけでした。
(おまけ:しつこいようですが、雨と月ライブのアーカイブは6/29まで)
↓Twitter 雨と月ライブ情報リンク】
https://twitter.com/sorusoru3588636/status/1672292727973904384?t=8bga9S493RgSZlhp_gARnA&s=19
最後まで読んでくれて、ありがとうございました♫
ではまた(^^)/
☆おわり☆